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      打上げ見学記「ロケット紀行」シリーズ、打上げ見学と宇宙関係施設観光のためのガイドブック「宇宙へ!」などの同人誌を販売中。


     オススメ・お役立ち  
      ・種子島ロケット見学マップ(PDF版:2010年現在)はこちら(リンク先画面のダウンロードをクリック)
      ・ロケット見学案内記第6版(PDF版:2011年現在)はこちら(リンク先画面のダウンロードをクリック)

    イベント参加予定:COMITIA120 5月6日(土) 於東京ビッグサイト

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    「おおすみ」40周年記念シンポジウムに行ってきた(その2)
     二人目、的川泰宣名誉教授。この方も大御所。初めて知ったのは日本惑星協会のメールマガジンのYMコラムでした。同コラは2010年2月現在配信中ですが、2008年頃までの分が加筆訂正の上、『轟きは夢をのせて』1・2(共立出版)にまとまっています。
    matogawa1.jpg

     演題は「Mが開いた世界」。ISAS系ロケットと人工衛星の歴史の概説です。

     以下、流れに沿って。

     まずはL-4Sと「おおすみ」の話。無誘導方式は某新聞から無謀だと言われつつ、苦労の末に成功させた。そこに至るまでは3年半の苦労があった。
     なお、性能計算書の表紙のお遊びラベルは、L-4S-1に始まる。松尾弘毅先生(注:1966年当時は大学院生だったようだ)が綴じ上がった資料の表紙に「サテライト(Satellite)」と入れようと提案したところ、的川先生が「まだ上がるかどうか分からないから「ハテライト(Hatellite)」としたらどうかと提案、そのまま採用となったとのこと。(注:「はて?」の意。現物の表紙は「?」が附され、「Hatellite?」となっている)
     この話は以下のサイトに詳しい。
    ・物語「性能計算書」(1):http://www.isas.ac.jp/j/japan_s_history/chapter10/06/01.shtml(JAXA/ISAS)
    matogawa2.jpg

     L-4Sは都合5機打ち上げられたが、途中、1年半の中断があった。これは種子島宇宙センター開設にまつわる漁業問題に影響されたものだった。
     以下参照
    ・宇宙・漁業問題の発端:http://www.isas.ac.jp/j/japan_s_history/chapter03/02/05.shtml(JAXA/ISAS)
     その後紆余曲折あって、盆と正月にだけロケットが上がるという、現在の打上げ期間設定に落ち着いた。的川先生はその後漁業交渉にも携わったが、宇宙のことをやりたいのになんで海のことを考えないといけないんだと思ったとのこと。
     ペンシルからL-4S-5/おおすみまで15年。「おおすみ」成功の記者会見は、大学院生だったので一番は字から見ていたとのこと。当時関わった先生でご存命なのはただ一人、らしい。(秋葉先生?)
     なお、「おおすみ」当時の内之浦婦人会長だった田中キミさんは、つい先日(2月4日か5日・・・うろ覚えでごめんなさい)お亡くなりになったとのこと。

    補足:田中キミさんは、ISASニュースNo.217、糸川博士追悼号(1999年4月)に、文章を寄せている。
    ・「糸川先生をお偲びして」http://www.isas.jaxa.jp/ISASnews/No.217/tokushuu-18.html

     この辺からMロケットの話へ。
     MロケットはM-4S→M-3C→M-3H→M-3S→M-3SII→M-Vと進化していくが、上段から下段へ、だんだんと制御する段数を増やしていったのだとか。
     スライドで歴代科学衛星がずらり。凡て31機、「かぐや」以外は皆LやMで打ち上げたもの。
     1979年にM-3C-4で打ち上げたX線観測衛星はくちょう。打ち上げ前に海外のX線衛星が故障したため、日本から妨害電波がでてるんじゃないか、などという話もあったようだ。
     1985年、M-3SIIロケットでハレー彗星探査機を打上げた。これは固体のロケットによって初めて地球重力圏を脱出した探査機だった。計画が出たとき、JPLは固体燃料で地球を脱出するミッションは無謀だと言っていた。1月に「さきがけ」を打上げたとき、JPLが予想時刻と1秒しかずれていないことを確認し、驚いたという。(スライド:ハレー艦隊)
    matogawa3.jpg   matogawa4.jpg
     ロケット名の裏話。ISASのロケットはK(カッパ)シリーズから始まってL(ラムダ)→M(ミュー)と来た。順番からすると次のロケット名はNを使うところだが、NASDAに先回りされてすでに使われてしまっていた、らしい。

     次いで、M-Vの話。
     涙の探査機LUNAR-Aのペネトレータは、現在ロシアの探査機に乗せようか、という話があるらしい。
     3号機の「のぞみ」、ついで「はやぶさ」の話。その後は歴代宇宙望遠鏡衛星の話など。「あかり」・「すざく」・「ひので」。
     M-Vについての周辺事情はいろいろ複雑なものがあるようだ。的川先生個人は、もっと活躍できるロケットだったと考えているとのこと。金星探査機「あかつき」も元来M-Vで打ち上げる予定だった。

     次いで最初にちらりと出た、性能計算書表紙の話。歴代の表紙がずらり。

     先生個人の見解。「はやぶさ」はJAXA統合以降は承認されなかっただろう。計画が冒険的過ぎて。この打上げは情報収集衛星とも絡んでいた。更に、漁業協定外の打ち上げとなった。このため的川先生が隠密で関係県漁連に交渉に回り歩いたらしい。2週間呑み続けで糖尿になった・・・。「はやぶさの影に糖尿あり」と笑っておられたが、見えないところで様々な苦労があったらしい。

    matogawa6.jpg
     最後は自身のNPO法人KU-MAをよろしく、ということで幕。

     以下続く

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    この記事のコメント
    は共立出版でございますよー。
    2010-02-08 Mon 23:49 | URL |  今村勇輔 #GMs.CvUw[ 内容変更]
    []
    >>今村勇輔さん
    ご指摘ありがとうございます。修正します。
    2010-02-08 Mon 23:56 | URL | 金木犀@管理人 #NrBA8kAs[ 内容変更]
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