2015-01-31 Sat 02:16
・ロンギヌスの槍を月に刺すプロジェクト
・HAKUTO(ハクトプロジェクト) 昔、ハインラインの「月を売った男」を読んだときのこと。資金集めのために主人公が「飲料会社の宣伝のために月に染料を撒いてその会社のロゴを」という提案をします。結局実行はされなかったのですが、「そりゃやってはならないだろう」と拒否感を覚えました。 このプロジェクト、それをそっくりそのままやろうとしています。理屈よりも先に感情が拒否しました。 言葉は悪いのですが、ロンギヌスのノリはとても軽く思えました。 月は未だにある種の憧れや、信仰の対象でもあります。日本は自由のある国ですが、月は日本の物ではありません。まして一団体が自由にしていいのでしょうか? ましてや、「ロンギヌスの槍」という言葉自体、エヴァンゲリオンの造語ではなく、特定の宗教(キリスト教)に結びついたものです。それを月に刺す、その行動が宗教的にどんなイメージ、あるいは象徴として考えられるのか、わかっていますか? ロンギヌスの槍は、キリストの処刑に関わった兵士が、その死亡を確認するために使ったという、キリスト教の聖遺物です。月はイスラームの象徴でもあります。トルコの三日月と星の国旗はイスラームを象徴します。国際医療の赤十字社は、イスラーム圏では赤新月社として活動しています。「キリスト教がイスラム教を傷つけた・傷つける意思があることの表明」ともとらえかねられないことです。(「槍」の大きさの問題ではなく、聖遺物と同じ名前をもつものを月に刺すという行為に問題があると考えています。) 日本は宗教に対して寛容な国ですが、国外に目を向ければとても繊細な問題です。意識的か無意識的かはわかりませんが、国際競争であるグーグル・ルナ・Xプライズに乗って「民間の力で月に探査機を送ることを目指す」というハクトにしては、いくら技術協力という予防線を張ってはいても、この点に説明が足りず、無防備に思います。世界はエヴァンゲリオンを知らない人の方が大多数なのですから。 もちろん、打ち込む「ロンギヌスの槍」は小さなものです。ですがその時にはこの言葉を思い出して下さい。 「この一歩は私にとって小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ」 飛躍の方向は、ぜひとも良い方向であってほしいものです。 お金のためのノリと勢いで人類の共有財産にどうこうしようというのが、少し幼稚に見えるのです。そしてそのために後々まで残るモニュメントを月に持って行くことに、私は嫌悪感に近い非常な違和感を覚えます。技術的挑戦ならば、もっと違うアプローチがあるようにも思います。たとえば初代「はやぶさ」は、他のコンテンツに頼ることなく立ち位置を確立しました。「はやぶさ」は特殊という向きもおられるでしょうが、特殊と考えてそのポジションを目指さない(困難を乗り越えるプロセスは真似しなくてもいいですが)のはなぜ? 例えば、宇宙飛行士の人形を月面に置いてきて、「我々はこの人形を地球に連れ帰るため、必ず再び人間を送る!」とやった方が、個人的には好きだけれどなあ。断念した日本の月探査計画「LUNAR-A」の技術的遺産であるペネトレータを打ち込むというのも面白いです。(月に打ち込むという点では同じですが、こちらは宗教が絡まないため) アメリカの国旗などを引き合いに出す方もおられるようですが、これも宗教とは関係ないものですから比較対象になりません。 宇宙開発とエンターテイメントはもっとお互いを利用したらいいと思っていますが、このような形では行って欲しくなかったと言うところを、ピンポイントで突かれました。 チームハクトが、このプロジェクトによって、打上げ資金を調達しようとしている思いはわかります。普通にやったのでは1億円を集めるのは困難です。わかるのですが……なぜそこでその方向に行くのかなあ。もちろんハクトの計画自体に異を唱えるつもりはありません。民間の力で月に手が届くなら素晴らしいことです。 ですが、このまま、月面に宗教が絡む名前のものをモニュメントとして残す商用利用という方向でいくのなら、私は「さよなら、ハクト」と言うしかありません。本当に残念なことです。 (2月1日追記:ご指摘いただいた箇所がありましたので一部修正しました。ありがとうございました) (4月6日追記) 2015年4月5日23時、目標金額を達成せず本プロジェクトはクラウドファンディング不成立となりました。 公式コメントは以下のリンクから。 ・「ロンギヌスの槍を月に刺すプロジェクト」 クラウドファンディング結果ご報告 不成立を受けての本ブログの記事は以下から。 ・「ロンギヌスの槍を月に刺すプロジェクト」目標金額未達成 |
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